kyokubi_mark Asahikawa Vinyl Co.,Ltd. 株式会社 旭川ビニール

あなたのアドバイザーとしてお役に立ちたい。


     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>

Categories

最近の記事

Archives

第36回 旭ビ教養講座
2020.03.16 Monday 09:31

ペーニャ・ロンガ・ホテル&ゴルフリゾートinポルトガル・・・遺跡の中でゴルフ!! 

大学時代の友人から「ポルトガルでゴルフをするならペーニャロンガがいい!」と聞かされていましたので、ペーニャ・ロンガPenha Longa ホテル&リゾートにメールをしましたが、予約は簡単に取れました。
 ペーニャ・ロンガはユネスコ世界遺産の観光都市シントラ市の中にあり、ポルトガル首都にあるリスボン空港から車で30分くらいの距離です。そして、ペーニャ・ロンガから車で10分程西に行くと、ユーラシア大陸最西端の岬であるロカ岬Cabo da Rocaに辿り着きます。ここには、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」が刻まれた石碑が立っていました(写真)
 また、ペーニャ・ロンガから車で10分程南に行くと、アクション映画007シリーズ第6作の「女王陛下の007」で有名になったエストリルEstoril海岸に出ます。因みに、この作品のボンド役は(ショーン・コネリーではなく)ジョージ・レイゼンビーで、ボンドがシリーズの中で唯一結婚するストーリーです。ジェームズ・ボンドは、エストリルにあるカジノで大負けした公爵夫人を助けるのですが、犯罪組織のボスである父親から娘を助けたお礼として、ボンドが追っている悪党ブロフェルドがスイス、シルトホルンの秘密基地に潜伏していることを教えてもらうのです。
 この大西洋に面したエストリル海岸は、イベリア半島有数のリゾート地で映画に出てくるホテルもカジノも実在し、第二次大戦中には中立国ポルトガルに駐留していた英・仏そして独軍の兵士たちも!!毎晩のようにこのカジノで勝負をしていたそうです。当時の天皇・皇后両陛下も1998年の英国・デンマーク訪問の際に訪れたポルトガルでは、宿泊なされたのは首都リスボンではなく、このエストリルのホテルでした。
 このエストリル海岸はカスカイスCascais市にありますが、このカスカイスは現在はスマート・シティとして注目を浴びています。
 ペーニャ・ロンガGRの話戻りますが、ゴルフ場のオープンは1992年ですが、そのコース内に点在する遺跡は14世紀に建立された修道院まで遡り、その後ポルトガル王室の夏の別荘として数世紀に渡り利用され、2005年に全面改装され、現在はリッツカールトンにより経営されています(写真)
 1992年にアトランティック・チャンピオンコースができましたが、ここはヨーロッパ大陸にあるゴルフコースのトップ30に入っています。また3年後の1995年にオープンした修道院コースも、ロバート・トレント・ジョーンズJrの設計です。Jrは日本では「軽井沢72ゴルフ」東コースや北海道の「桂ゴルフ倶楽部」を設計しています。
 2018年にペーニャ・ロンガでプレーする機会を得ましたが、その前日から3日間シントラの観光タクシーを日本から予約していました。運転手は正に召使いという風貌で、背は高くないですがアンディ・ガルシアのようなカッコイイ方で色々お話を聞かせてくれました。お家は代々召使い!!という方で(そういう方にお会いしたのは初めてでした)、我々は彼の運転するベンツ!!の後部座席に乗って移動しましたが、目的地について、他の国のタクシーのように自分でドアをあけて出ようとすると、「ちょっと待ってください」と言い必ず後ろに回ってドアを開けてくれました。また、「ショッピングがいいかな〜それとも画廊を見るのがいいかな〜」と尋ねると「私に尋ねないでください。命令してください。」と言われ、なんとも昔の貴族にでもなったような不思議な3日間でした。
 私は、少しポルトガル語を勉強していきました。ご存知のようにポルトガル語はポルトガルだけでなく、ブラジル等でも広く使われている言語ですが、私の話すポルトガル語を聞いて「ブラジルで勉強してきたのですか?」と言われたので、「なぜか」と尋ねたところ(挨拶等のみポルトガル語で、後は殆ど英語です、、、)、スペル-deを「デ」と発音するのが本家ポルトガルで、「ジ」と発音するのがブラジル訛りだそうです。日本のロックバンド・ポルノグラフィティの大ヒット曲「サウタージ」の話をした時でした。
 いよいよゴルフですが、遺跡の多い修道院コースを回りました。まず、古代ローマ時代の水道橋の遺跡のようなものが至る所にあり驚いてしまいました (写真)。それも遠くに見えるだけならいいのですが、すぐ近くにあり打ったボールが当たってしまいそうでこわごわ打ってました、、、そして、とうとう池越えのグリーンの向こうに遺跡があるコースに来ました(写真)。「グリーン手前の池を怖がって大きめに打って、ボールがあれに当たって欠けてしまったらどうしよう、、、」と言ったところ、キャディは「あれは大した遺跡でない!?から欠けても誰も何にも言わないけど、あの遺跡に当たるようなショットを打ったら、君のボールは大きくこちら側に跳ねてグリーン上を転がり、ボールはきっと手前の池の中だね〜」と言われてびっくりしました。しかし、彼のアドバイスに勇気づけられて、大きめに打ってオンしました〜
 一人づつにキャディーが付いてくれましたが、実に素晴らしいキャディでした。「君、ミス・ショットだったね〜こうやって打つんだよ。」と二人とも模範ショットをしてくれる!!聞くと一人はポルトガルでも有名なアマチュアで、「来週スコットランドで大会があるんだ。」とか言っていました。「ポルトガルのキャディはここまでしてくれるんだね!」とお礼を言ったら、「えっ!?じゃ、日本のキャディは何をしてくれるの?」と聞かれたので「一番の仕事はボールを拭くことかな〜」と言ったらとても驚いていました!!その彼も、スペインのバルデラマは難しい、と言っていました(「第35 旭ビ講座」)
 海抜0mの所もあるカスカイス市からシントラ市へはかなりの急斜面で上っていき、坂の上のシントラ市の市街地では路上駐車が許されていましたが、とんでもない急坂で、また狭く曲がりくねり、自分で止めるなら絶対サイドブレーキが要ると思いましたが、今回は召使いが停めてくれたので助かりました。
 魚料理は島国である日本が一番料理の種類があると思っていましたが、ポルトガルのコッド・フィッシュ(鱈、タラ)には100種類以上の調理法があると聞いて驚きました。このタラは保存食として調理することができたので、長い航海を可能とし、ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマVasco da Gamaの世界一周を成功させた要因の1つとされています。
 しかし、大航海時代で世界の海を征したポルトガルではありましたが、ポルトガルの国境の半分は海と言ってよく、陸と繋がっている国境は(山の向こうには、という感じです)強国スペインですので、どうしても外洋に向かって進出していくしかありませんでした。リスボン周辺もエストレーラ山脈Serra da Estrelaからだんだん低くなり海に繋がっているスロープで、1755年のリスボン地震の時には、「ここカスカイスは、津波があの高さまで来て根こそぎやれた」とスロープとなっている町の半分くらいの高さにところを指さしながら召使いは説明してくれました(津波の高さは最大30mとも言われ、この地震では津波による死者1万人を含む6万人の方がお亡くなりになられたようです)
 でも、その危険とは分かっていても、その海に自分たちは出ていくしかない、、それ以外生きるすべがない、、、観光以外に大きな産業のないポルトガルでは漁業の方が圧倒的に多かったです。ポルトガル最後の夜、ナイトクラブで、船に乗って沖の漁に出て戻らぬ夫や恋人を歌ったポルトガルの民族歌謡「ファッド」を聴きました(写真)。ポルトガル人特有の哀愁、サウターを感じました。

 

 


Category : ゴルフ | Author : tmek | - | - |